若狭和紙の歴史は古く延暦(782~806)の頃に製造技術が伝わったものと言われています。
「若狭国志」に延喜(901~922)の頃、若狭から都に庸として紙が送られていたことが記述されています。
また、「若狭郡県志」によると現在の湯岡、和多田、名田庄村三重などで漉かれていたと記録されています。
小浜藩主、酒井忠勝の治世(1634~1656)にコウゾ、ミツマタの栽培を奨励したことによって、製造が盛んになったと伝えられ、家内手工業として発達してきました。
今では和多田を中心にわずか数戸でしか紙を漉いておりませんが、伝統技術 が受け継がれています。
田村川の美しい水に育まれた若狭和紙は精選されたコウゾを原料にして漉かれています。
紙質は純良で強く色が美しく、浅草「浅草寺」雷門の提灯にも当店の若狭和紙が使用されています。
かつては絹布類の包紙として愛用され、和傘、障子紙、研磨紙、襖紙などを生産、現在は文化の発達と共に、型染原紙、民芸品等の美工紙も手がけ、この紙から作られた素朴な民芸品、和紙人形は現代生活の中に心のうるおいとして多くの人々に愛されております。
雅趣に富み、強靭かつ優美な気品に満ちた純日本紙は、
それぞれの用途とお好みに応じて必ず御満足頂けるものと信じております。
原料は、ミツマタ、コウゾを使用します。(現在、主に高知産のコウゾを使用)紙の質を良くするためにコウゾの黒皮を特製の刃物で削ぎ落とし、一昼夜から二昼夜水につけてやわらかくします。
その後、ソーダ灰と共に3時間程煮込み、コウゾの繊維をほぐれやすくします。(昔は、ソーダ灰の代わりにカシの木の灰を使用)煮沸した原料を水槽であく抜きし、谷水の中で、傷やチリを取り除く作業を2~3回繰り返します。
洗い終わったコウゾをコウゾ打解機に30分程かけ、なぎなたビーターに15分程かけて、コウゾを細かい繊維に独立させます。それを、漉船に溶かし、繊維に粘性を与えるため、トロロアオイを使い紙を漉きます。
漉いた紙を重ねて一晩そのままにして自然に水を流したのち、油圧ジャッキで加圧、圧搾し水を切ります。
圧搾した紙を縦型の三角形の乾燥機を使い1枚ずつ乾燥させていきます。
型紙を98cm×65cm四方の長方形の和紙の上に置き、染めない部分に糊をぬり、色が付かないように防染します。
糊置きした和紙の上から、天日干しを行い乾燥させてからハケで全体に顔料を塗っていきます。
地色引きした上から、模様にあわせた型で別の色をぬり型紙をあて、ハケを使い小さな模様に色を差していきます。
水差しの終わった染紙の糊を水で洗い流して模様を出し、天日で干し、乾燥させます。
若狭和紙が出来るまでの取材日記も是非ご覧ください。→